父方のおじいちゃんが死んだ時
母は、弔いの演技しているように私には見えた
けれど、そう感じながら子の私はタイミング良く飛び込んだ胸で
しっかり号泣できたのだった
知らずに演じている
母として 父として 子として 家族として
与えられた役を全うしようとそれぞれ台本をもっている
アドリヴだらけな人生の中で
しっかりと線が引かれているのは各自の主人公だろう
セリフを口にしてみたところ台本と違えば
カットをかけて関係をやめてしまうことだってお互いある
家族とは、それでも演じきれるひとつの劇団なのだと思う
いつだって降りられるし 種明かしだって出来る
けれどそれをしないのはどんなに舞台の外へ出たとしても
懐かしさの無意識の中には
既にセットされた愛しさが出番を控えているからだ
2015