おばあちゃんとおじいちゃんは2人暮らしをしています。
スーパーへ買い物に行くと、おばあちゃんはいつも食パンを買います。
夜ご飯にも朝ごはんにも食パンは出てこないのに、
どうして、こんなにたくさんのパンを買うのだろう?
シールを集めるともらえるお皿は、どんどん増えていくばかりです。

食パンはどこにいったのだろうか?
その理由を知りたくて台所へ入ろうとすると

「ほれ、そんな裸足で来たら冷たくてダメだろ」

と、ペタペタな床に変わる台所には
入れさせてくれません。

「ほれ、危ないから」


ある日の夜のことでした。
おばあちゃんは「ほれ、こっちきてみな」
と、台所に呼んでくれました。

「静かに来るんだよ」

真っ暗な台所へ足を踏み入れると、
夏なのに、ひんやりと床が冷たかったです。

「ほれ、ここからそっと覗いてごらん」

踏み台を使って流しによじ登った先、
窓の外を見ると、タヌキが食パンを食べていました。












おばあちゃんは「手は洗ったのかよ?」の次に「うがいはしたのかよ?」
と、少しイラだったようにも思えるいつもの調子で誰ともなしに行っている。
その声を聞きながら父親がしてきたように、お仏壇に手を合わせる。
お仏壇が乗っているタンスの1番下の引き出しには
ことあるごとに何回も登場した古銭とか記念硬貨が詰め込んである。


おじいちゃんの物は、七回忌を終えるずっと前から
キレイさっぱり片付いてしまっていた。
小さい頃よく行ったチョコレートの飲み物があるあの店も、
スーパーにあったパラシュートを島へ着地させるあのコインゲームも、
家の一部みたいに置いてあったピアノも、気にかけた頃には消えていた。
すぐそばにあると感じていた思い出が、
すぐそばにある穴に音もなく落ちてしまったようだった。



変わらないのは何だろう。
残されていくものには、何があるのだろう。
何かを知ってしまうことが、何かを失わせている気がしてならない。
台所のペタペタな冷たい床はリノリウムということも
あのチョコレートの飲み物の正体は
ハーシーズだということも知ってしまった。
それは経験や知識とも言えるだろうけど、
私にとっては知ってしまった途端に、
どこかへいってしまった、失いそのものだ。
食パンを食べていたあのタヌキが今どうしているのかなんて、誰も知らない。
そのことは、今もここにちゃんとあるような気がする。






   

    back