周りと違うこと、その差を埋めようと、みんなと同じであろうと、
普通であろうとすればする程、浮いた存在となっていった。
これ以上、私はここで、なれない普通を目指していたら壊れると知りながら、予定通りに壊れていったんだろう。

中学校へ行かなかった約2年間分がずっと気がかりだった。
通学するように学校へ通勤してみれば、その“しこり”を払拭できるかもと思った。
春夏秋冬、通学路で見かけた木の実や種たちを、自然と拾い上げ手に乗せて見る。
時がくれば、発芽し、成長し、花を咲かせ、再び実をつけ、散布する。
こんな義務的にすら思えるライフサイクルの中でも、死んでゆくもの、生き残るものとに分かれてゆく。

コンクリートへと向かって落とした種は生き残れるんだろうか
かといって、土に落としさえすれば、死なないものだろうか。
どちらが正しいかなんてのはない
ここよりもどこかで、と居場所を求めてドロップアウトした時のように
“手の平へと種を乗せてみること”
それも、1つの方法ではないだろうか






   

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